柴山 多佳児

コロナ禍を経てわが国の公共交通が「危機的」な状況である。しかしこの「危機」は、本質的には従来から変わらぬ制度を前提とし、しかもコロナ禍前からくすぶっていた公共交通「事業」の危機が露呈したものである。公共交通機関が市民に忌避されるようになったわけでもなければ、安全で効率的な運行や運営の技術が廃れたわけでもない。
ところが、事業の基盤となる現行の諸制度が前提としてきた社会や交通の姿からは、現在の社会は大きく様変わりしている。公共交通機関が、多くの人にとって徒歩・自転車以外で唯一の交通手段だった時代は遠い昔に過ぎ去り、自動車が常に選択肢となる状況へと変化した。急激なモータリゼーションは1970年代のことと思われがちだが、日本全国の乗用車登録台数は1989年に約3100万台であったものが、2019年には約6200万台へと30年で倍増した。地方都市では市街地の低密化・外延化が進み、「クルマがないと暮らせない」社会が都市部でさえ出現した。
その一方で、社会が成熟化し、「住みやすさ」がより求められるようになったが、その重要な要素の一つが公共交通機関であることは、世界各地で編纂される「住みやすさランキング」の一要素となっていることからも明白だろう。また気候変動対策として温室効果ガスの排出削減が求められ、2050年にカーボンニュートラルを達成する目標をわが国も掲げているが、そのために輸送単位当たりのエネルギー効率が自動車より遥かによく温室効果ガス排出が少ない公共交通機関を戦略的にモビリティーシステムの中に組み込むのは重要な課題である。道路や駐車場による土地被覆の抑制や緑地の保全は、近年の最高気温記録の度重なる更新に象徴される局所的な気候変動の緩和に役立つが、それには徒歩・自転車と公共交通中心のコンパクトな都市づくりが欠かせない。これらはどれも、交通弱者の足の確保のような福祉的な意味合いをはるかに超えた、持続可能な社会へのトランスフォーメーションへ向けた公共交通の役割であり、自動車への依存度が高い地方都市や地方部でこそ大変に重要な課題である。
このように、かつては「事業」として成り立つか否かが要諦であった公共交通に求められる役割は、多様化し、公益化し、複雑化している。これは自家用車の普及や経済的発展の度合いが近しい欧州諸国でも同様である。ところが、公共交通機関を生活の質(QoL)向上と持続可能な社会への転換の鍵と位置づけ、SUMPとして結実した政策立案と合意形成の方法論からPSOに代表される制度設計まで最新の知見を集めて練り直し再構築した欧州諸国と、従来から変わらぬ制度の枠組みの中で事業者や自治体の並々ならぬ努力で何とか持たせてきたわが国の間には、大きな隔たりが生まれてしまった。その差は地方都市で特に顕著である。
難題が山積しているが、まだ手遅れではないだろう。住み心地のよい持続可能な社会づくりに向けて着実に歩みを進めるための重要な鍵の一つが、国内に多数ある地方都市や地方部の公共交通であり、地域公共交通総合研究所が学術と行政、そして豊富な経験に裏打ちされた実務の橋渡しをしながら果たす役割は大きい。欧州を研究・教育活動の拠点とする者として、先行する欧州からの「学び」を通して、微力ながらも貢献できればと思う。

柴山 多佳児 プロフィール

氏 名  柴山 多佳児(しばやま たける)
現 職  ウィーン工科大学 交通研究所 上席研究員

出身
1983年宮城県石巻市生まれ

略歴
2007 東京大学工学部社会基盤学科卒業
2009 東京大学大学院工学系研究科社会基盤学専攻修了
2009~11年 オーストリア政府国費奨学生(ウィーン工科大学、学位授与:2021年)
2011~21年 ウィーン工科大学交通研究所 研究員(学術職員)
2021~現在 ウィーン工科大学交通研究所 上席研究員
兼任等
2018~現在 カンプス・ウィーン応用科学技術大学非常勤講師
2011~現在 (一財)運輸総合研究所 客員研究員
2021~現在 芝浦工業大学 客員准教授

略歴

  • WCTRS(分科会 SIG G2 Co-chair)
  • 土木学会(日本)
  • 日本交通学会
  • EASTS (東アジア交通学会)

主な論文等

  1. T. Shibayama, F. Sandholzer, B. Laa, T. Brezina: “Impact of COVID-19 lockdown on commuting: a multi-country perspective”; European Journal of Transport and Infrastructure Research, Vol. 21 (2021), No. 1; 70 – 93.; doi:10.18757/ejtir.2021.21.1.5135
  2. T. Shibayama: “Competence distribution and policy implementation efficiency towards sustainable urban transport: A comparative study”; Research in Transportation Economics, Vol. 83 (2020); 1 – 20.; doi:10.1016/j.retrec.2020.100939
  3. T. Shibayama, G. Emberger: “New mobility services: Taxonomy, innovation and the role of ICTs”; Transport Policy, Volume 98 (2020), 79 – 90.; doi:10.1016/j.tranpol.2020.05.024
  4. T. Shibayama: “Japan’s transport planning at national level, natural disasters, and their interplays”; European Transport Research Review, Volume 9 (2017), 44; 1 – 18.; doi:10.1007/s12544-017-0255-7
  5. T. Shibayama, H. Ieda: “MOLTS: Multinational Operators for Local Transport Services”; Asian Transport Studies, Vol. 1 (2011), No. 3; 234 – 249.; doi:10.11175/eastsats.1.234